• 雛人形の左右の並びについて

    向かって右に男雛、左に女雛が並ぶのは陰陽五行説が由来

    劇場で舞台を見る時に、向かって右の舞台左側を上手、向かって左の舞台右側を下手と言います。

    左を上、右を下とする並びは、日本古来の陰陽五行説にも続いています。陰陽五行説とは、中国で生まれた陰明説と五行説が結びついたもので、陰陽説は、宇宙の森羅万象を陰と陽の2つの気で説明する考え方です。

    陽は太陽のあたる場所。太陽が陽なら月は陰、男性が陽ならば、女性は陰というように、相反する気の働き方で秩序が保たれるという考え方です。

    この思想、考え方は欽明天皇の時代(553年)暦として日本にもたらされました。

    やがてこれが学者の間に広まり、天武天皇の時代には陰陽寮(おんみょうのつかさ)という政治機関が設けられるまでになります。

    安倍晴明という陰陽師は有名ですが、陰陽説は国の政治にも大きく関わるようになり、人々の生活全般にいたるまで広まっていきました。

    同じく中国で生まれて移入された五行説(木火土金水の5つの気が巡ることで世界は成り立つ説)がこれと結びつき、日本では暦からはじまってすべての生活秩序の根幹となっていきました。

    これにもとづき「天子南面」(てんしなんめん)という思想が生まれます。

    天子(天皇)は南を向いて位置するとされるもので、御所で天皇が南を向くと、太陽の運行にあわせて日が昇る東は左手、これを上手とすると、反対の西は右手になって下手となります。

    したがって、男雛が左、女雛が右に位置するのが慣例となりました。

    大正天皇が即位式で西洋文化をとりいれ右側に立たれた。

    現在の皇族方はこのようには並ばれません。これはヨーロッパの騎士道から採り入れたとか、英国王室にならったなどの諸説あり、男性が右で女性が左、つまり天皇が右で皇后が左に並びます

    これは大正天皇が即位式で洋装された時、皇后は天皇の左に立たれたことに由来しています。

    これ以来、昭和天皇、平成天皇の即位の礼でも先例にならって並ばれています。ただし、皇后は天皇の後方に退いて立たれます。現在、宮中における行事の際には、この並びが通例となっています。

    これにあわせて、男雛を右、女雛を左に並べることもあり、現在では、どちらも正しい並びとされています

    (参考文献:雛まつり~親から子に伝える思い~「福田東久著」)